自由意志→自己申告→自己責任→差別強要

この考え方が正当だ(納得できる)として、職場で「成果主義賃金制度」が導入されています。差別することの正当性の根拠にされています。

仕事の目標を自己申告させるけれど、組織の仕事としてやっているのに、やらせだよ、わざとらしい、こんなことをする時間がもったいない、人事管理の仕事に協力してもっともらしい資料づくりをしているだけではないか?

モヤモヤ、うっとうしい、迷惑だ、そんなふうに感じている人はいませんか?

この考え方の最初にある「自由意志」なんて存在しない!

こう言うのが「哲学者:スピノザ」です。

「人間が自らを自由であると思っているのは、<すなわち彼らが自分は自由意志をもってあることをなし、あることをなさざることができると思っているのは>誤っている」と言うのです。

そうした誤った意見は、彼らがただ彼らの行動は意識するが、彼らをそれへ決定する諸原因はこれを知らないということにのみ存すると。人間は、欲望の「原因」は意識できず、欲望の「結果」のみを意識すると。

つまり、習慣、無意識、他人の影響、性格、色々な要素が絡み合って人間の行為は成立すると。

私たちは「意志」というものが一元的に行為を決定していると思いがちです。「我思う、故に我在り」これは、「哲学者:デカルト」の有名な言葉です。言葉などで何でも説明できる(公に共有できる)という、デカルトの考え方が近代以降に採用され、科学の発展に寄与してきました。

その結果、私たちは、「意志万能論」「意志があれば何でもできる」「意志が全て」という考え方に慣らされ、当然の考え方だと思わされがちです。しかし、現実は、人間の行為はそんな単純じゃない、人間の行為は様々な要素が絡み合って成立している。人間の行為は、その人の意志だけで成立しているのではない。

その人の意志だけで成立していない行為を自己責任と決めつけることは誤っており、成果主義賃金制度は「ごまかし」の論理だというのです。差別を押し付け、搾取するために持ち込まれた言い分ではないでしょうか。

皆さん、どう思います?