終戦すぐのベストセラー 【旋風20年】

終戦すぐのベストセラーに【旋風20年】という本があります。私は、その本を知りませんでした。それには、戦争中に発表を禁止されていた「真実」の記述が満載です。GHQ占領下という状況下のものですが、戦中いかに国民が真実を知ることができない状況に置かれていたかが分かります。国民は、戦争に突き進んで、命の危険にさらされた、その「真実の理由」を知りたいというエネルギーがベストセラーを生んだのでしょう。戦後の原点です。

国民の個人の権利、知る権利など人権が侵害されていた部分を抜粋してみました。
下記ホームページから【旋風20年】を読むことができます。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041946

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連合国総司令部渉外局は日本憲兵隊の残虐ぶりを左のごとく発表した。

「九段にある灰色のビル(憲兵隊本部)は戦時中アメリカ軍防諜部員の見るところではヒットラーの秘密警察以上の残虐さを持った組織の本部であった。憲兵隊はほとんど無制限の権限を持っており、国内においては強力な警察以上の権威を有していた。戦闘地区および戦場では軍人および非戦闘員を軍法会議に付し判決を執行する権限を与えられていた。・・・悪名高き「法律第49号」即ち国防保安法は・・・。この法律はこれまで日本で実施された抑圧的法令のうちで最も重要なものの一つであって国家の秘密なるものを正確に規定し情報の漏えいに対し国民の警戒を命じたものである」

東條はこの国防保安法の実施により、また憲兵隊との緊密な連絡によって国民に対する絶対的な権力を獲得し、その政治的反対者を弾圧し粉砕したのである。外相吉田茂はこの法律によって昭和20年4月15日から45日間憲兵隊本部に拘留されていたし、東方会の闘士中野正剛が東條内閣打倒成らずして自決した時、代々木の中野家には制服の憲兵2名が泊まり込んでいた。

渉外局発表は更に日本憲兵隊の生態につき左のごとく述べている。

「憲兵隊は極端な国家主義的でない個人の活動、あるいは行為、または思想を抑圧するための機関として建設されたものであって、単に不平を持つという嫌疑のあるだけの人間でさえもこれを逮捕の目標とみなした。街頭の日本人にとっては愛国的であるだけでは不十分で殴打を甘受することを強制され自分の所有する宝石、家宝、暖房装置その他の金属製品を政府に「自発的」に献納することを要求されたものである、しからざれば憲兵隊の手によって迫害されたのである。日本人は何か一寸生意気なことを言ったといっては取り調べのため引っぱられ、その結果は配給の停止となったり、態度が反国家的とみられると投獄されたり、憲兵隊は完全な独裁制の下にアメリカの連邦検察局陸軍憲兵司令部および防諜部隊の有する権限を一括して持っていた。この組織は戦場において諜報機関として活動し治安に関して部隊に命令を発し連合軍の文書を押収、利用することに努めたばかりでなく又日本兵の郵便物を検閲しスパイを逮捕処刑し宣伝および宣撫に従事した。憲兵隊はまた宗教界においてもその名を知られ恐れられていた。日本人がキリスト教会に加入することは困難、かつ危険であった」

東條は右のごとき憲兵隊を私兵として把握し軍閥の中央に巣くい、陸軍大臣、参謀総長を兼務して用兵作戦の中心となるほか政治、経済、教育、文化の面にまで指揮権をほしいままに行使した。

無謀なる戦争を継続せしめんために、かくの如く陛下に真実を覆う如き所業をあえてした東條にしてみれば、政治や新聞を抑圧するのは朝飯前の仕事であった。翼賛会組織の確立によって政治は既に骨抜きとなっていた。その上に推薦選挙が行われて政治の無力化は完成した。政府の推薦を受けた候補は1人当たり5千円也の選挙費用を政府から渡された。この選挙費用がことごとく臨時軍事費から出ていることが判明し兵務局の防衛課長藤井中佐をはじめ心ある軍人は随分憤慨した。しかも政府の施策に反対する者は、たとえそれが建設的な意見であっても国賊として憲兵又は特高警察の手に渡されたのであった。

東條内閣の議会における言論脅迫の跡は昭和18年末開会の第84回通常議会における速記録削除84件、速記中止27件におよび国家総動員法や新聞紙法によって闇から闇に葬られた言論は何万語に及ぶであろうか。しかも各議会毎に本会議における代表質問を1人に限定し、その演説内容はあらかじめ東條の秘書赤松大佐が検閲したものであった。

ミッドウエーでわが「無敵海軍」は大敗北を喫した。還送された負傷者はことごとく横須賀海軍病院に缶詰にされて外部との接触を一切遮断された。陸軍省でこの敗戦を知った者は東條の他に2、3人だった。兵務局長田中隆吉は東條に向かって、「真相を隠さずに国民に知らせて下さい。日本国民は善きにつけ悪しきにつけて、泣いて戦う国民です。真相を知らすことは国民の士気を鼓舞する最良の途です」と切言したが、東條は田中を一喝して、「国民は愚昧(ぐまい)なものだ。真相を知らせると却ってその士気を挫く」と主張して田中の進言に一顧だもしなかった。

史上最大の航空母艦群による米航空兵力は、カロリン諸島中の日本海軍基地トラック島を攻撃した。トラック島が攻撃されたということは、日本海軍が無力化したことと同義語である。海軍省はミッドウエー敗戦以来の深刻なショックを受けた。従来の如き非科学的な戦闘方法では敗北するのみだ、もっと飛行機を・・・との叫びが海軍省に充満した。

翌日の毎日新聞は第一面全面を費やして海軍の気持ちを国民に訴えた。東條式の精神主義だけでは戦争には勝てぬ。装備の改善による合理的戦闘を行うべし。四段抜きの大見出しは「竹槍では戦争に勝てぬ」と端的に内容を表現した。

同社の編集局ではトラック島を気づかいながらも「けふのウチの紙面はよく出来たぞ」と珍しく満足した言葉が記者達の口をついて出た。この時、陸軍省では苦り切った東條が局長会議に顔を出すなり、「けふの毎日新聞はどうか。軍を誹謗するも甚だしい。筆者を極刑に行へ。何故発禁にしなかったのか?」と怒号した。即刻谷萩報道部長、三好情報局次長から筆者たる政治部記者新名を馘首(かくしゅ)せよとの東條の命令を伝達して来たが毎日新聞社はこれに応ぜず、責任者たる吉岡編集局長、加茂編集局次長の休職を発令したにとどまった。新名記者には3日後に突然赤紙が来て、丸亀の連隊に入隊した。

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現在の日本の政治において、「マスコミの個別の報道についてケチをつける」、「スポンサーを引きあげさせろ」と干渉する、「NHKの政権ヨイショ報道化」、「秘密保護法を憲法が規定している会計検査院の検査権限より優先させようとする」などの安倍政権の態度が戦中の軍事政権に似てきているように思えて・・・。